『太平洋戦争戦史地図』「日本陸軍戦力喪失一覧図」「日本海軍艦船喪失一覧図」図面で伝えられること

あまり見たことのない印象の図面

仕事途中に通りかかった世田谷の古書店で、たまたまこの地図を見かけました。
2枚の大きな地図が折り畳まれて頑丈な表紙のフォルダーに収められています。

2枚の地図はそれぞれ、太平洋戦争の際の日本軍の戦いをまとめたものでした。

地図や図解を作る仕事は多く、昔のものを見て発見することも多いです。
これは持っておこう、ということで購入しました。

『太平洋戦争戦史地図』「日本陸軍戦力喪失一覧図」「日本海軍艦船喪失一覧図」
編輯主幹:植野録夫、日地出版株式会社、1947年(復刻1985年)

編輯(編集)の執念を感じる

その地図です。

まず海軍のほうですが、いろいろな戦艦がどこで沈没したかがまとめられています。

拡大するとこんな感じです。

続いて陸軍の地図も同様に、各地の戦況がまとめられています。赤い❌は日本軍が全滅したことを表しています。

こちらも拡大してみます。

大変な労力

こういう資料が作られる時には、やはりものすごい労力がかけられています。

まずは、情報をどう集めるか、という問題があります。
今であれば、ネットでかなりの情報が集められるでしょう。
ですが、この地図が作られた1947年は、そんな情報はありません。電話をかけて聞くこともほぼあり得なかったはずです。戦時中は戦況の実情は報道されなかったので、新聞資料を頼ることもできません。

編輯(編集)された上野録夫さんは、復員局に残されていた資料をベースに、焼却されそうになった書類を集めたり、個人が隠し持っていた書類などを集め、この地図を作製したようです。

下記の文章が残されています。
「東京軍事裁判用地図の作製を担当した機会に海、陸戦史地図の必要を痛感し、戦史室を設けその編集に没頭した。復員庁第一、第二復員局の残存資料を基礎として官庁で焼却中の関係書類の中から収集したもの、又個人が秘匿してあった書類等を集大成して昭和22年2月15日に日本海軍戦艦喪失一覧図、昭和22年4月30日に日本陸軍戦力喪失一覧図を完成した。」(復刻の際に添えられた文章『太平洋戦争「戦史地図」の発行に就て』より)

そして、情報を集めた上では、どうまとめるかを検討することが必要です。
この地図でも、被害の大きさをどう表すか、そこまでの戦況の経緯をどう表すか、これらが検討されまとめられています。編集者からすると、知り得たけれど載せられない情報も膨大にあったはずです。

こうしてまとめた情報の凡例が下の写真です(陸軍一覧図)。苦労して集めた情報について、「私はこういうルールで整理した。理解されよ」という編集者の宣言のようにも見えます。

GHQに没収された幻の地図

この2枚の地図ですが、編集された上野さんの文章によれば、もともとは、戦況を正確に知らされることもなく終戦を迎えたことの無念や、真相を知りたいという気持ちから作られたものです。
この地図が公開されれば、同じ思いを抱えていた人たちの支持を集めて大きな話題となったことでしょう。

ところがGHQは、「日本独自の戦史地図の編集出版は禁止」として押収してしまいました。
こうして、広く出回ることなく幻の地図となってしまったのです。

これを書きながら思いますが、今はこの地図をスマホで撮影してSNSに乗せれば消されてしまうことはないでしょう。この地図の内容であれば、どんなに隠そうとしても画像が拡散していくと思います。

ともあれ、押収された地図には後日談があります。
1966年にアメリカ合衆国がまとめた『第二次世界大戦史』の17巻、マッカーサー名による『太平洋戦争報告書』に、日本語のまま掲載されたのです。GHQ=アメリカは、日本独自の戦史地図を編集出版するのはダメと押収したものの、結局この地図を評価して国の刊行物に転載したことになります。

まとめることの意義

ここで先ほど紹介した拡大の画像をもう一度載せておきましょう。
図の中の数字、20.4-14の場合、昭和20年4月14日、つまり終戦の年の4月14日です。
(西暦でいうと1945年4月14日)。

韓国沖、瀬戸内海から九州、沖縄近海にかけて、これほどの船が沈んだことに改めて驚愕します。

マレーシアのボルネオからフィリピンのミンダナオにかけての戦況がよくわかります。
情報が削ぎ落とされているので、なおさら胸に迫るものがあります。

加えて、こちらも載せておきましょう。
陸軍の図に添えられている「内地戦争被害状況図」。

海軍の図に添えられている「月別潜水艦、艦船喪失量」。
終戦の前年、昭和19年(1944年)の後半には、戦況が転換していたことがわかります。

こうやって一覧にまとめることで、伝わることは本当に多いです。

図表と意図

良くも悪くも編集意図によって、表現の仕方は異なり、それによって受け手の印象は大きく異なります。

この記事を書いていて思うに、この地図の編輯をした上野さんは、そういうこともちゃんと把握した上で、戦争被害の大きさをいろいろな人たちに伝えようと考えたのだと思います。
その時に、細かい部分はバッサリと省いたり、強調する箇所があったりと、いろいろな判断があったと思います。

研究者の間で定説となっている数字とは当然開きもあるでしょう。戦後2年でこの地図をまとめた上野氏と、研究者としてさまざまな資料の検討を重ねた人の判断が、違わないはずがありません。
東京大空襲の犠牲者の数も15万と10万くらいには違います。

ただ、この地図・図表にこめられた意図や思いの重さは、そういう数字の違いで変わることもないと思います。

この地図が伝えようとしているのは戦争の悲惨さです。
「これほどまでに、各地で戦艦が沈み、日本軍が全滅した。この地図を見た人たちは、戦争の悲惨さを思うだろう」
そう考えて資料を集めて編集したのです。

hosokawakobo
細川生朗 Hosokawa Seiro
1967年生まれ。1991年に情報センター出版局に入社。『水原勇気0勝3敗11S』『いちど尾行をしてみたかった』『笑う出産』などのヒット作を編集。1994年に『きょうからの無職生活マニュアル』、1998年に『旅の指さし会話帳①タイ』を企画・編集。いずれも累計100万部以上のシリーズとなる。2001年に情報センター出版局を退職。その後、フリーの編集者として、実用書を中心にした単行本の企画・編集、自費出版の写真集や記録集の編集、社史の編纂などを手がけつつ、指さし会話帳シリーズの編集も続けている。