『常用梵字の智識』ガリ版のテキストに見る外国語を扱う難しさ

ガリ版の時代

かつて、ガリ版という印刷方式が活躍していた時代がありました。
コピーが手軽に使えるようになったのは、1980年代で、(ものすごく大雑把にいうと)それ以前に、手軽に印刷する方法といえばガリ版でした。

小学生だった時に担任の先生がガリ版で学級通信を作ってくれたのを思い出します。
題字のところに雲形定規できれいな図案が描かれていました。

ガリ版印刷は、それを専門に行う業者もあり、脚本や映画のチラシなどいろいろな印刷物が作られていました。

当時のガリ版の達人たちが書いた文字は、素晴らしいなあと思うことがあって、たまたまヤフオクで見かけて購入したのがこの本です。

『常用梵字の智識』 竹田鐡仙

奥付がないので発行年がわかりません。
表紙には「愛知学院大学教授 学長竹田鐡仙述」とあるので、著者の竹田先生が学長だった時期を調べてみたところ、1965〜87年とのこと。
おそらく60年代から70年代にかけて作られたのだろうと思います。

特殊な言語の教科書

この本のテーマが梵字。
お墓に行くと見かける卒塔婆に書いてある文字です。
愛知学院大学は曹洞宗系の学校ということなので、主には、将来僧侶となる方たちが勉強するための教科書として作られたのだろうと思います。

今であれば、少部数の冊子などもワードなどで原稿をまとめてネット印刷などで作ることができますが、そんな方法は考えられなかった時代です。

予算があって活字を組んで教科書を作ったとしても、梵字を活字で組むのは現実的ではなかったはずです。
ですから、この教科書がガリ版で作られているのは、時代の影響だけではなくて、梵字の印刷が難しいという理由も関係していると考えられます。

おそらく、日本語は専門のガリ版職人さんが書いて、梵字部分は竹田先生自ら書いたのではないでしょうか。
普通のガリ版職人さんは欧文のアルファベットは書くことができても、梵字を書くことはできなかったでしょうから。

ガリ版印刷の職人魂

この冊子の中で、個人的にぐっとくるのは、手のひらの絵柄がたくさん入っている点です。これを手印というようです。

ガリ版職人の方の絵がすごく上手いというわけでもないですが、元になる写真等の資料があったのか、竹田先生の手を見ながら描いたのか、いずれにしても大変な苦労があってガリ版で起こしたのでしょう。

教科書として使われた痕跡

もともと、この本を入手したときは、竹田先生が何かの記念等で、自費出版的に本を作ったのかなと思っていました。
ですが、今回見直してみて、これは竹田先生が教科書として使っていたのだろうと思ったのです。

というのは、ところどころに赤い文字で直してある箇所があるのです。

梵字を学習している人が、この教科書を読んで自分で間違いを発見できるという可能性はかなり低いと思われます。
一方、竹田先生が授業で使っていたとしたら、授業を教えながら「あ、ここ間違ってるな」と思って学生たちに直しを入れるように伝えたはずです。

そんな痕跡が本の上に残っているのだと気付いたのです。

今も、扱うのが難しい言語がある

パソコンがどんどん進化して、スマホでも見知らぬ外国語の文字が普通に表示されるようになっています。

それでも、ワードやエクセルでは正しく表示された文字が、他のアプリに持っていくと間違いになってしまう、というようなエラーがまだまだあります。

外国語を扱うのは本当に難しいことが、いろんなところに潜んでいます。
そういう恐ろしさを仕事で感じることが多いので、この本に書き込まれた直しを見て、なんともいえない感慨がありました。

 

hosokawakobo
細川生朗 Hosokawa Seiro
1967年生まれ。1991年に情報センター出版局に入社。『水原勇気0勝3敗11S』『いちど尾行をしてみたかった』『笑う出産』などのヒット作を編集。1994年に『きょうからの無職生活マニュアル』、1998年に『旅の指さし会話帳①タイ』を企画・編集。いずれも累計100万部以上のシリーズとなる。2001年に情報センター出版局を退職。その後、フリーの編集者として、実用書を中心にした単行本の企画・編集、自費出版の写真集や記録集の編集、社史の編纂などを手がけつつ、指さし会話帳シリーズの編集も続けている。