『セパラガ(セパタクロー)SEPAK RAGA(TAKRAW) 』身近な文化遺産を残す小冊子

東南アジア発祥の競技

セパタクローをご存知ですか?

籐で編まれたボールを蹴って、バレーボールのように競うスポーツ。
マレーシアのセパ=蹴る、タイのタクロー=ボールが元になって名付けられてできた競技です。
ネット越しにボールを蹴り合う穏やかな印象もありつつ、ネット際で突如バトルが発生する独特な印象があります。
アジア大会の種目にもなり、ボールはプラスチック製になり、、、、競技自体が東南アジアのスポーツとは言えないほど有名になりました。日本もアジア大会で何度かメダルをとっています。
私がこの競技を知ったのは、1990年頃に東南アジアを旅行していた時期です。

マレーシアやタイでは、片田舎のちょっとした空き地に、ネットが張られている光景をよく目にしました。夕方、涼しくなるとそこで遊ぶ人たち、、、バドミントンや、セパタクローで楽しむ人たち、そういう光景は普通に目にしました。

アジア大会の種目になったのは、その当時、1990年の北京大会からのようです。

40年前に作られた本

そのセパタクローの歴史や、ルール、ボールの編み方などをまとめたのがこの本です。

『SEPAK RAGA(TAKRAW) 』Sarawak Museum(サラワク博物館)/1983年。

2005年頃に、マレーシア、ボルネオ島のコタキナバルを訪ねたことがあるので、その時に購入したのではないかと思います。
ボールの編み方が丁寧に解説されているのが素晴らしいと思って購入したのでした。

この本がまとめられた1983年当時は、セパタクローはアジア大会の種目ではなかったわけですが、ボルネオ島のクチンでは、1981年に大会が開かれていたようで、裏表紙に写真があります。

セパタクローを見たことのある人ならわかりますが、アクロバチックな技でネット際で応酬するのが見どころの競技です。
40年前にも、同じように競技していた人がいるというのは、驚きです。

記録に残る意義

この本の中には、

・セパタクローという競技になる前のセパラガ

・セパタクローとして定められたルール

・セパラガのボールの作り方

・セパラガのボール作りのベースとなっているカゴ編み

・六角形を基本としたボールの作り方

・五角形を基本としたボールの作り方

・大英博物館に所蔵されているセパラガのボール

などがまとめられています。

52ぺージの本ですが、完結に凝縮されて収められている印象です。

今、セパタクローに関する文献を英語、日本語で探してみても、出てくるのはこの本くらいしかありません。40年前に記録を残した、サラワク博物館の方達の慧眼には驚くばかりです。

セパラガは、円になってお互いにボールを蹴り合うものだったようです

セパタクローが特別ではない

この本で取り上げたセパタクローは、東南アジア発の競技として、アジア大会を通じて有名になったわけですが、もともとは地域の伝統の遊びと見られていたはずです。
それを本としてまとめたことに、深い意義があります。

自分が住む地域やコミュニティに古くから伝わる文化や伝統を、冊子や本にしてまとめておく。
これは本当に難しいことです。
編集することが難しいという以前に、身近にいる者ほど、その価値が客観的にはわかりにくいので、残しておく意義を見出しにくいからです。

ですが、こういう形でまとめておけば、40年後にもその文化が伝わります。
ネットだと、ページを存続されること自体が珍しいので、なかなかこうはいきません。

学校の中の伝統行事、地域のお祭り、長年続いている展覧会、などなど、整理してまとめておくことで伝えられることがあるのです。
40年後には、今ある形は完全に失われているかもしれません。
そういう記録を残そうとお考えの方はご連絡ください。お待ちしています。

大英博物館の所蔵品は1906年のボールとのこと。100年以上前のボールがこうやって保存されていることも驚きです

hosokawakobo
細川生朗 Hosokawa Seiro
1967年生まれ。1991年に情報センター出版局に入社。『水原勇気0勝3敗11S』『いちど尾行をしてみたかった』『笑う出産』などのヒット作を編集。1994年に『きょうからの無職生活マニュアル』、1998年に『旅の指さし会話帳①タイ』を企画・編集。いずれも累計100万部以上のシリーズとなる。2001年に情報センター出版局を退職。その後、フリーの編集者として、実用書を中心にした単行本の企画・編集、自費出版の写真集や記録集の編集、社史の編纂などを手がけつつ、指さし会話帳シリーズの編集も続けている。