『超芸術トマソン』赤瀬川原平著・編集することで生まれるパワー

街歩きを変えてくれた一冊

「超芸術トマソン」という考え方を知ったのは、たしか高校2年の時、1984年くらいだったと思います。
当時マガジンハウスから刊行されていた雑誌「鳩よ!」で紹介されていました。
(今ネットで調べると、「鳩よ!」の84年5月号に「尾辻克彦の超芸術って何?」という文章があるようです。ネットは便利ですね。。。)

街中で偶然出来上がった扉や窓のない庇、ドアのないドアノブ、隣に存在した家の形が残っている外壁、そういったものを路上で発見していくというもので、当時白夜書房の「写真時代」に連載されていました。

この文章を読んでから、高校の行き帰りの退屈な道が一変して楽しいものになりました。
路上には発見が満ちている。
それを見つけることが出来るか出来ないかはその人次第。
そんなことを教えられた気がしました。

連載が単行本化されたこの本『超芸術トマソン』(赤瀬川原平著/白夜書房)は、1985年5月の刊行です。
刊行されてすぐに購入し、専修大学の大学祭で行われた赤瀬川氏の講演会を聞きにいった記憶があります。

向ヶ丘遊園の駅で降りると駅前で赤瀬川氏が迷っていました。
その時に駅前で書いてもらったのか、講演会のあとだったのか、ともかく私が持っている本には、その日に書いてもらったサインがあります。

赤瀬川氏が天才

この本は18の章から出来ていて、それぞれ7~10ページ程度の分量です。
雑誌の判型も大きかったので、その連載を活かすということでしょう、サイズはB5判。168ページです。

掲載されている白黒写真には❶、❷、❸と番号が付けられ、その番号順に赤瀬川氏が文章の中でふれていきます。

尾辻克彦名義で芥川賞をとり、赤瀬川原平名義でも数々のベストセラーを輩出した方なので、文章の面白さはさすがです。
その脱力感、写真を人と違った角度から見る特異な感覚、これは他の人にできるものでもありません。

そういう意味では、この本『超芸術トマソン』は赤瀬川氏の天才的な作家性によって成立している本といえます。

卓越した編集も

その一方で、編集の方法・技量としてすごいな、と思うところも多いです。

1つ目に、写真に全部番号を付けて説明していく方法です。

その方法が前提となっている本ではありますが、こうやって原稿をまとめるには、原稿を書き始める時点で全部の写真を選んでおかないといけません。
順番も考えて、今回はどんな風にお話を展開するかを整理して、それから原稿を書く。

でも書き進めていくと、「あれ、これは順番変えたほうがいいな」とか、「ここは追加だ」とか、予定変更が生じます。
そうなると、写真の番号も原稿の中の番号もまた書き直さなければならない。
単純なことですが、これを実際にやるのは面倒で、連載時に毎回続けるのはなかなか難しいものだったはずです。

2つ目に、写真のメリハリが挙げられます。

写真として面白いものは、大きくしたり、裁ち落としにしたりして、本全体の中で変化をつけていること。
普通に写真を並べているページでも、横長、縦長、少しずつ変化をつけてあります。
それもさりげなく、すごく自然にそういう処理がされています。

読む側はそんなことを意識することなく、でも単調な感じに飽きることなくページをめくっていくことができる。
そういう演出がされています。

3つ目に、ところどころで変化球が入ること。

全体的には、路上で撮影した建築物の写真がたくさん入る本ですが、その途中に、人の写った写真が入っていきます。
おそらく、これは意識的に入れていると思います。

変化球という言い方をしましたが、本筋の話とすこしズレが内容がはさまれることによって、読み手の心にすんなりと物事が伝わるということはよくあるのです。

あんまり、直球ばかりを投げていると投げられるほうはしんどくなります。
適度に話題をズラしたり、クスっと笑えるようなものを入れるくらいががちょうどよかったりするのです。

赤瀬川氏の著作をいくつか読んだ経験からすると、1~3は、ほぼ赤瀬川氏のセンスで進められていたのだと思います。
天才的な文章のセンスは真似できないとしても、この編集のセンスは真似したいものと思います。

今回、ひさしぶりにこの本を見直してみて、1~3の発見がありました。5年後に見直したら、また新たな発見があるかもしれません。

hosokawakobo
細川生朗 Hosokawa Seiro
1967年生まれ。1991年に情報センター出版局に入社。『水原勇気0勝3敗11S』『いちど尾行をしてみたかった』『笑う出産』などのヒット作を編集。1994年に『きょうからの無職生活マニュアル』、1998年に『旅の指さし会話帳①タイ』を企画・編集。いずれも累計100万部以上のシリーズとなる。2001年に情報センター出版局を退職。その後、フリーの編集者として、実用書を中心にした単行本の企画・編集、自費出版の写真集や記録集の編集、社史の編纂などを手がけつつ、指さし会話帳シリーズの編集も続けている。